生涯学習論 試験対策(6−10)

生涯学習論

私の場合、学習理解を深めるかつ試験対策として「科目終末試験問題」と過去問の自作解答例を作成するようにしていました。メモ程度に大まかに内容をまとめておき、試験問題に合わせてその場で自分の考えなどを追記するようにしていました。そのためここで記載する内容は、まとまった記載はではなく、文字数も少ないものや多すぎるものなど様々です。学習のちょっとした参考になれば幸いです。

参考にしたテキストのページ数も載せておきたいと思います。2022年4月入学ですので、問題内容や番号、ページ数に相違があるかもしれません。また、下記の解答で合格をした訳ではありませんので、ご留意下さい。

*注* 解答例の丸写し提出は大学より禁止されていますので、参考程度に留めて下さい。

6.社会教育行政の任務と役割について

テキスト参考ページ p47, p63

 教育基本法第12条では、社会教育について「個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」とした上で、社会教育行政の基本的役割として「図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない」と規定されている。この教育基本法を受けた社会教育法の第3条では、国及び地方公共団体の任務として、「社会教育の奨励に必要な施設の設置及び運営、集会の開催、資料の作成、頒布その他の方法により、全ての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない」と規定している。社会教育行政は、公民館、図書館、博物館の設置、学級・講座の実施、イベントの開催、指導者の研修などさまざまな施策を通じて、人々の自発的・自律的な学習活動を奨励・促進・支援するところに主要な任務があるといえる。また、この任務を遂行するに当たっての留意点として、社会教育法第3条において、人々の多様な学習ニーズを踏まえ、「これに適切に対応するために必要な学習機会の提供及び奨励を行うことにより、生涯学習の振興に寄与すること」、並びに社会教育や家庭教育と密接な関係を有することを踏まえ、「学校との連携や確保に努め、及び家庭教育向上に資することになるよう必要な配慮をすること」や「学校、家庭、地域住民その他の関係者相互間の連携及び協力の促進に資する」ことを期待している。

 社会教育行政は教育行政の一環として、教育の中立性・継続性・安全性が求められる。このことは、基本法第16条においても、「教育は不当な支配に服することなく、この法律および他の法律に定めるところにより行われるべき」とした上で、「教育行政は国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と明示されている。

7.社会教育の施設・職員・関係団体について

テキスト参考ページ p54-62

 社会教育施設とは、社会教育を行うために設置された教育機関である。社会教育施設には、地域住民の学習拠点である公民館や広域的な観点から県民の生涯学習を支援・推進する生涯学習(推進)センターなどの総合的な機能を持つ施設と、図書館、博物館、青少年教育施設、女性教育施設、文化会館、社会体育施設などの専門領域を対象とする施設がある。2008年の社会教育法の改正により、公民館、図書館、博物館、青年の家等は社会教育施設であると法律上初めて明記された。社会教育施設が教育機関としての役割を果たすためには、いわゆるハコモノとしての施設(設備・資料等を含む)はもちろんのこと、そこでさまざまな教育事業(たとえば公民館の学級・講座、図書館の貸出、博物館の展覧会など)が展開されていること、さらに施設を管理する職員がいることなどが不可欠である。社会経済等の急激な変化を背景として、社会教育施設は、人々の学習ニーズに応じた学習機会の提供だけでなく、地域課題の解決や学校・家庭・地域の連携促進など社会の要請にも対応するべく、その機能の充実が求められている。また、運営状況についての評価に取り組むとともに、その運営状況等に関する地域住民等の理解を深めるためにも、社会教育施設は、ボランティア受け入れをはじめとして、地域住民等の学習性か活用の場を積極的に提供していく必要がある。

 社会教育主事は、さまざまな社会教育の専門的職員のうちでも最も中核的な役割を担う職員である。その職務は、社会教育を行う者に専門的・技術的な指導と助言を与えることとされている。また、社会教育施設には一般の事務職員の他、公民館主事、司書・司書補、学芸員・学芸員補等の職員が置かれる。社会教育施設の職員は、地域住民の生涯学習の直接的な支援をその職務としており、多様化、高度化する地域住民の学習ニーズに対応して、その果たすべき役割に対する期待はますます高まってきている。しかしながら、適正な数の配置や資質向上への取組は現状では必ずしも十分とはいえず、今後の充実への取組が期待されている。

 社会教育は、本来自発性、自主性を基本とするものであり、民間における社会教育活動の意味は大きい。わが国における社会教育の歴史をみても、民間の団体による社会教育活動は極めて重要な役割を果たしてきた。かつては、国及び地方公共団体は社会教育関係団体に対し補助金を与えてはならないと規定されていたが、1959年に改正され、補助金支出の禁止が解除された。そして同年の答申では、「補助事業の範囲」として、図書等の資料の収集・作成・提供、社会教育の普及・向上・奨励のための援助・助言、団体間の連絡調整、機関誌の発行、体育・レクリエーション等の催しの開催、研究調査、社会教育施設の整備等の具体的な事業が挙げられている。

8.社会教育行政が対応する学習課題について

テキスト参考ページ p67-76

 一般に教育の機能には個人的機能と社会的機能の二面があるといわれる。教育の機能を個人の発達や自己実現を助ける営みであるとする考え方と、他方、教育は国家や社会を維持・発展させるために、必要とする人材を育成するための機能であるとする考え方である。前者は教育とは学習者である個人に奉仕するもの、すなわち人格の完成、能力の獲得、個性の実現を支援する「個人(中心)的教育観」によるものであり、後者は、教育は文化や社会の存続と発展の手段であるという「社会(中心)的教育観」によるものである。したがって、行政が行う社会教育や生涯学習支援では、学習課題は個人の学習ニーズを十分に踏まえることを前提としながらも、個人のニーズを超えたところに源泉をもつ公共的課題・社会的課題・時代的課題など、社会の側から捉えられた要請された学習上の課題を整理・選択・統合し、教育の社会的機能の観点を併せ持つ学習課題として設定することが重要となる。

 2006年に改正された教育基本法第12条には、「個人の要望や社会の要請にこたえ、社会に置いて行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」とあり、社会教育は個人の要望だけではなく社会の要請にもこたえて行われる教育であることが明記された。

 新たに示された国の生涯学習振興の方針では、行政によって行われる社会教育や生涯学習支援について個人のニーズに応えるだけでなく、公共的課題・社会的課題・時代的課題といった社会的機能をよりいっそう重視した学習機会の提供が求められた。

 一般に学習課題設定の理論的枠組では、学習者の学習要求から抽出された課題である「要求課題」という用語に対して、学習者の要求として自覚されないが教育目的や目標に照らし学習する必要性のある課題を「必要課題」と呼び、従来よりこれらの用語が広く用いられてきた。また、要求課題が学習者の個人的要求に基づいているのに対し、必要課題は学習者が属する社会の要請に基づいていると説明され、前者が個人的・私的であるのに対し、後者は社会的・公的であるとされた。社会教育はもとより強制力を持たず、学習者・参加者の自発性に待つものであるため要求課題に重きが置かれがちであるが、社会教育は学習者の潜在的な学習ニーズを発展させることにより必要課題を要求課題に結び付けることを可能にする営みであるとして、学習者の要求から発した関心を「必要課題」へと結び付ける支援が重要である。これにより、行政が行う社会教育は社会の要請に基づく必要課題を取り上げて学習事業を展開することにその存在理由が見出される。

 社会教育や生涯支援に携わる行政職員が住民の学習活動の機会を提供したり、地域住民のリーダーが学習の機会をつくろうとした場合、常に配慮されなければならないことは、人々がどのような学習への関心や要求を持ち、またどのようなことを学ぶべきかという問題である。つまり、学習要求と必要課題の双方の把握が重要な仕事となる。

 学習課題とは、個人の望むままに自由に学習したいと考えたり自覚して抱いている(自ら課している)関心や要求、すなわち「自発性」の概念と、社会の側から個人に適応するように課してくる社会的圧力を伴う「要求・期待」の概念からなる必要課題との設定にあるものであるから、学習課題は個人の自由と社会の適応の二面性を持っているといってよい。学習課題は個人がそれを達成することで、社会の構成員としての要請に応えつつ自己を発現させることができる人間に成長するという二つの機能を果たすことを目指して設定されるものなのである。必要課題を導く手がかりとしては、発達課題、地域課題、現代的課題と呼ばれるものがある。

9.学習者(青少年期・成人期・高齢期)の特性を踏まえた学習について

テキスト参考ページ p76-85

【青少年期】

 青少年期には、身体機能と共に情緒面や知的能力がそれまでの発達期にも増して発達し統合されていく。しかし、思春期には14際プロブレムなどという言葉もあるように、この磁気は身体と心のバランスが不均衡になったり、自らの将来像を模索する中で親や教師といった大人と対立することも多いが、この磁気に意味ある大人との出会いを通じその姿を自ら同一化モデルとする者もいる。さらに、10代半は準拠集団が家族から同年齢の仲間に移行する時期でもあることから、仲間集団の価値感を大切にする時期であるという前提に立ち青少年を理解することが重要である。

 青年期にある若者は、子どもの世界と大人の世界の境界にさらされている。協会人としての青年は「自分は何であるのか」「自分の社会的役割は何か」など自我同一性の確立が彼らの課題であるとされながら、同時に、彼らは自己喪失の不安に悩み精神的に不安定な状況に陥りやすくなる。

 最近の青少年の意識調査からわかること

  • 不安に思うこと…中高校生では「進学」、高校大学生では「就職」
  • 理想とする生き方…「今を楽しく生きる」「家族と幸せに生きる」「趣味を大切にして生きる」
  • 経済的成功や社会的地位の獲得などといった功利主義的志向は低く、社会や他者に対する貢献意識も低い。現実から逃避する形で日々を生きている若者の存在が認められる。
  • 功利的な成功や社会貢献などという社会とのつながりには興味を示さない代わりに、私的な趣味や親しい者たちとの関わりの重視など、個人的な要求充足に重きを置き、個人的な志向にこだわりを持ち自己実現を果たそうとする今日の若者像

 青少年期は、学校を中心とした知識の獲得の学びのほかにも、学内外のさまざまな活動を通じて、一と交わり社会における共生を学ぶ時期でもある。生活の中で日々勉強に追われ、あるいは高度情報化社会の中でバーチャルな世界に浸り、人との直接対話や交流、あるいは現実社会との接点や自然に親しむ体験の乏しさなど青少年の姿に問題を指摘する報告もある。

 青少年の学びについて進学や就職を果たすだけの学びに留まらない、社会の一員としての自覚と責任や社会の規範を守る態度を育む必要性が説かれている。

 よい事だから、みんな揃って奉仕活動やボランティア活動に参加すべきだという一方的で偏狭な考を安易に受け入れるのではなく、大人社会が創り出した社会問題の中で生きにくい思いをしている若者の存在への配慮も視野に入れつつ、青少年が社会における自らの存在について考え、人は人とのつながりの中に生きること、そして将来成人として社会に参加していく力を見出すことを支援し、学ぶ、そのような機会を学校教育により頼むだけではなく、学校、地域、企業、NPOなどの大人社会が責任をもって形づくる合意形成と努力が求められている。

【成人期】

 成人教育の理論については、リンデマンの『成人教育の意味(The meaning of adult education, 1926)』によって、成人の特性を生かした成人教育の特徴と方法が示された。

  1. 成人は学習に置いて自己主導性(自己決定性)を志向する存在である。成人は基本的に、義務教育段階の子どもとは異なり、よくも悪くも学習するか否か、或いはその内容や方法を自分で決めることができることを望む存在である。
  2. 成人の蓄積した経験は、学習の貴重な資源となる。
  3. 成人の学習のレディネス(readiness, 準備のできている状態)は、社会的役割あるいは社会的発達課題を遂行しようとするところから生じることが多い。(成人は、発達の移行期にいるときにいっそう進んで学習する。よって、成人教育の援助を行う場合は、学習者の社会的役割に着目する必要がある。)
  4. 学習への方向づけとしては、子どもの学習は将来への準備などが主で即効性や即応性を要求しないのに対して、成人の学習では生活していく力(competence)やすぐに役立つ知識や技能が求められる。(それゆえに、学習の方向づけは、教科中心的なものから課題達成中心的なものへと変化していく。)

 メジローは「教育者の役割は、学習者が自分自身の中のパースペクティブの源と結果、自分自身のくらしについての解釈を批判的に検討するのを援助することである」とし、学習者の前提をなしている認識の枠組みや、価値感を批判的に振り返るプロセスを学習活動に組み込むことが重要であり、それによって学習者に意味のパースペクティブの変容が生じることの必要性を論じた。

 成人の学習者は学習を通じて指導者あるいは援助者(ファシリテーター)の働きかけを受けながら自律性や自己主導性を獲得していく存在、即ち学習を通じて自らを変容させていく存在だということになる。

【高齢期】

 高齢期を生きる者が直面する普遍的な変化である身体機能の低下、社会的役割の縮小・喪失などに伴う孤独感、疎外感、認知症などの疾病、このような高齢期に生じる「喪失」をいかに受け止め、乗り越えるかといった高齢期の課題解決に向けた学習への養成も高まりを見せている。

 高齢期の生活や学習を考える上で見逃してはならない点は、高齢者の生活の中に生じる「喪失」と「獲得」という対立する二つの概念である。

 どのような人間にも「(今よりも自分が)よくなりたい」「最後まで自分の人生には意味があると信じたい」という自己成長へ向かう欲求があるのと同時に、それを阻むさまざまな「喪失」という現実が高齢者の前に立ちはだかっているという認識に立ち、そのよい変化を引き出すために何が必要かという視点から社会教育・生涯学習支援の支援は展開される必要がある。まさに、社会教育や生涯学習支援の意義は、高齢期を生きる人々の日常生活や彼らの内面(精神的・霊的)世界が学習を通じてよい方向へと変化していくことを援助する営みの中にも見出されるといえるのである。

 高齢者を対象とする学習支援は、世界の国々に先がけて超高齢社会を迎えるわが国において、それを支える新たなパラダイムや文化を創り出す意味でも今後さらに重要な役割を担うものになっていくといえる。

10.生涯学習における個人学習と集合学習の意味とその支援について

テキスト参考ページ p91-95

 生涯学習の方法は、一人で行うか、複数の人々で行うかにより、個人学習と集合学習がある。

【個人学習】

 個人学習の方法としては、①本・雑誌等読書、②テレビ・新聞等メディア利用、③個人指導による塾や習い事、④通信教育、⑤観劇・鑑賞、⑥個人で行うスポーツ、などがある。さらに近年、eラーニングがめざましく浸透している。

 このような個人学習については、次に示すような「自己教育・自己学習」としてのとらえ方がある。

 1972年のフォール報告書では、成人教育においては、教育活動を学習者中心にし、何を学ぶか(内容)、いかに学ぶか(方法)、どこで学ぶか(機会)を学習者自身で決めることを原則とする自己教育・自己学習を中心とすべきとした。

 生涯学習において、個人学習は重要な領域を担っている。

【集合学習】

 集合学習の方法は、①集会学習(講演会、展覧会、映画会、音楽会など)と、②集団学習(学級・講座〈社会教育施設の講座、大学・高校の公開講座など〉、民間企業の教室、グループ・サークル、社会教育関係の団体活動など)に分けられる。集会学習が、多くの場合、集会の時間が過ぎると、個々の学習者が散会してしまい、集団としての継続性に欠けるのに対し、学習者同士が相互に高め合うメリットをより生かせる集合学習が、集団学習である。

 また、週後学習が個人学習と大きく違う点は、同じ学習の場に他者の存在があるという点だろう。情報を共有した参加者同士で感想を述べ合うことで異なる見方や気づきが深まるといった展開も起こりうる。

 自分とは考えや文化が異なる他者との討論や共同活動は、異分化だけでなく自文化への理解を導き、人間は相互に依存して共存していることや、違いだけでなく、互いの間の共通性への気づきと新たな帰属意識の芽生えに繋がるとしている。

【学習支援】

 個人学習と集合学習は、別々に取り組まれる場合が多いが、学習者一人ひとりについて考えた場合、個人学習が集団学習に取り組む契機となっていたり、集団学習で学んだことに興味をもって、さらに学習を深めるために個人学習が行われるなど、両者が個々人の学習を補完し合ったり、スパイラル的に学習を促進していく関係にある場合も少なくない。むしろ、個人学習と集団学習が、このような補完関係になる流れを支援することが、今日の学習支援では求められている。

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